洗心流の歴史

<初代家元 村山月窓> 洗心流は、大正10年に、曾祖父 村山月窓(むらやまげっそう)が創流致しました。

京都 天龍寺の関精雪(せきせいせつ)老師より、 「一華一葉洗心養徳」の一項を賜り、
「洗心流」と致しました。

”花に向かう者、己の心を洗うが如く、又、見る者の心をも洗うが如く” の境地をひたすらに
求める独自の流儀です。

当時は、大正デモクラシーで、日本独自の様々な文化が開花した時代で、華道界もまた
同様に、様々な様式の生け花が広がりを見せました。

月窓は、華道の他にも、茶道、水墨画、造園等、広い分野に才能を発揮し、特に水墨画は、
鶴見総持寺より、襖絵の依頼を頂く程でしたが、ほとんどの作品は、空襲で焼失致しました。

又、月窓は、北大路魯山人、下村湖人、島崎藤村、辻留次郎等、文化人との交わりも深い
生涯を送りました。

まもなく創流100周年を迎えます。

初代、曾祖父村山月窓の志を大切に、 初めて手ほどきを受けた2代目、祖母村山禧月、
一昨年永眠致しました3代目、木村優月、茶道と共に教授を受けた4代目北澤洸月、
それぞれの花と向き合う姿を想いながら、自然の姿を生かした生け花を、現代に伝えて
参りたいと念じております。

洗心流は、財団法人 日本いけばな芸術協会、 社団法人 帝国華道院、靖國神社献華協會に於いて、長年活動を続けております。